ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

高商の概要
ユーザー登録

関連リンク

高松商業高等学校

校長先生facebook

高松商業高等学校紫雲会東京支部

高商クラブ

高商校歌

校歌をダウンロードされたい方は、バナーを右クリック「対象をファイルに保存」でダウンロードできます。

リンク用バナー

高松商業高等学校紫雲会

当サイトへリンクしてくださる方はお使いください

お問い合わせ

紫雲会事務局
info@siunkai.org



ボランティア募集

ご希望の方は上記メールアドレスよりお問い合わせください。


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-02-24 11:58:47 (771 ヒット)

紫雲会HPをご覧になって同窓会開催を知るに至ったとの事で、卒業生の方から私共HP委員会の方へ嬉しいメッセージを頂きましたので、ご紹介させてください。

******************************************

拝啓 おはようございます。お世話になります。 昭和47年3月卒業生 H.M です。

おかげさまで同窓会の開催を知り、参加することができます。44年ぶりの再会にワクワクしています。
ありがとうございました。

2月16日に高商紫雲会HP委員会口座に5,000円振り込みました。些少ですが、運営費に充てていただければ幸いです。

紫雲会名簿の購入を旭出版さんに申し込みました。紫雲会事務局に確認をしてから発送しますとのことでした。 お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
紫雲会ホームページ委員会の皆様のご健康をお祈り申し上げます。

敬具

******************************************

紫雲会サイトが卒業生の皆様のお役に立てている事を実感できるメールで、とても感激致しました。
どうぞ皆様も「同窓会を開催しょうかな?」とお考えの際には、是非紫雲会サイトをご活用頂き、全国に散らばっている同窓生の皆さんへお声かけください!!

一人でも多くの卒業生の皆様に喜んで頂ける機会を提供できるよう…私共HP委員会も、これからも頑張ってまいりますので、どうぞ今後ともご支援の程、宜しくお願い致します。


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-02-08 17:32:52 (845 ヒット)

11時から高商体育館において、紫雲会臨時総会が開催されました。冒頭、犬伏野球部長・長尾健司監督・米麦圭造主将の挨拶があり、部員の「ありがとうございます」の言葉で部員は退室して行きました。本当はここで、実行委員会委員長真鍋健彦紫雲会会長の激励の言葉がある予定でした。

真鍋健彦会長は部員の後ろにある緞帳を見ながら、「この原画はローマの太陽が上がる前の暁の絵である。今の諸君の有り様を見事に表現した、卒業生で洋画家平田ゆたか画伯の絵です。心燃やして躍動し、大いなる活躍を期待しています。」という激励の言葉が用意されていました。

その後の総会で、議長に就任した真鍋健彦会長らから募金活動の内容と応援団結成の概要が報告されて、満場一致で承認されました。土曜日の昼前で、体育館は冷え冷えしていましたが、最後に再結団された「応援団」のお披露目があり、OBの中には涙する者もいました。まだ1ヶ月足らずの練習ですが、頼もしい限りです。

応援団員は5名ですが、昔と違って男子1名に女子4名の体勢です。高商は生徒数が6対4で、女子が多くなっている現状です。校歌斉唱とコンバットマーチ、エールの交換練習が披露されました。これで球場での応援が、盛り上がると思います。エールの交換で、不義理することもなくなります。

それに先立つ総会では、標題のように今回の甲子園大会出場のための募金活動の目標数字の発表が8,000万円、期限は6月末までとすることが真鍋健彦会長からありました。

あわせて今回から、在校生のOB訪問がなくなります。前回20年前は、現役在校生の活躍で、1,700万円が集まったのでした。この総会でもOB訪問廃止に対する疑問の声が上がりましたが、中筋政人校長先生からの説明で改めて承認されました。

募金趣旨書は、既に卒業生宛に郵送されています。また住所の変更等で帰って来ている封筒が多くあり、詳細は紫雲会ホームページに掲載されています。個人は一口5,000円(二口以上お願いしたい)、法人は1万円以上の募金をお願いすると書かれています。

応援団についても四国新聞で紹介されていました。(7日付 四国新聞)
野球部のセンバツ機に応援リーダー復活/高松商高


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-30 16:41:59 (1299 ヒット)


「さあ甲子園」と想定内のこととはいえ、校長室では大勢の報道陣を前にして、中筋政人校長先生が緊張した面持ちで、高野連からの電話を待っています。「第88回選抜高校野球大会の出場推薦をします」「承ります」という内容の電話だったと、中筋政人校長先生はその後の記者との会談で話していました。



生憎の大雨で、選手への伝達式の会場は体育館下のピロティーになりました。大勢のマスコミが来ています。先に小豆島高校の21世紀枠が発表になりました。香川県から2校の出場は過去にもあることだとは思いますが、ここ暫くは聞いたことがない快挙です。



高商の甲子園選抜出場は、明治神宮大会優勝で「確実視」されてはいましたが、関係者の間では「不祥事がないように」と密かに言い合っていました。しかし、不祥事は発表前のみならず、発表後も取消があり得ることですから、あくまでもいつもの生活を平常心で送って貰いたい。



中筋政人校長先生も伝達式で、3月20日までの間、練習と勉強に励むように訓示をされていました。その通りだと思います。野球も、多くのスポーツ同様頭脳戦です。スマフォーゲームでなく、教科学習や野球の本から多くを学んで欲しいと願います。今の時代ですから、野球心理学も面白いのではないでしょうか。



1時間ばかりの大騒ぎで、マスコミも帰り、「さあミーティング」と長尾健司監督が会場を去って行きました。生徒の平常心を保つ。ある意味これからの2ヶ月が、子ども達の将来を決めることになるかも知れません。ある意味楽しみな2ヶ月と言えると思います。



小豆島高校は島を挙げて、応援も盛り上がると思います。島の活性化につながって欲しいですね。高商の出場は、これまた不思議と県民の関心をかっています。卒業生かどうかを問わず、「高商頑張れ」の声が至るところで聞こえて来ます。野球部OBの間でも、「初戦に勝つのが大変」と自分の苦労談も出てきます。



その当時の対戦校が「富山高校」と聞いて、勝ったと思ったら負けたとか。色々な話しで盛り上がった、甲子園選抜出場の発表日でした。明日10時から、早速寄附集めの会議が紫雲会を中心に行われます。20年前は5,900万円集めたとか聞いて、今の時代、下回らないことを祈るだけであります。

 




投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-28 20:00:34 (622 ヒット)

シリーズの最後も、休波希(やすなみのぞむ)記者のまとめた記事です。明日の選抜出場校の発表を前にして、「軌跡高商伝統と変革」と題して5回に分けて高商野球の伝統と変革について書いています。要するに伝統にばかり頼ってあぐらをかいてはいけない、変革も必要だという意図ではないかと思います。



最終回の今日は、「高商の復活」がもたらす効果についてまとめています。高松のみならず、団塊の世代らには「強かった高商」の記憶がまだまだ残っています。全国的にも常勝校の入れ替えが、速いスピードで進んでいます。昨日の小欄で書いたとおり、一点集中の私立高校野球部が台頭してきています。



私も高商紫雲会の副会長として、紫雲会東京支部や大阪支部の総会に顔を出しています。挨拶では必ず、「甲子園へはいつ行くのか」という詰問があります。もちろん紫雲会役員が悪いのではありませんが、それでも高商イコール「甲子園」という公式が今でも生きていることも事実です。



過去には四国も、「四商」を中心として公立高校野球部が活躍をしていました。香川県は眈松Χ塙盥察愛媛県は松山商業高校、高知県は高知商業高校、徳島県では徳島商業高校です。しかし前に書いたとおり、私立高校野球部の台頭が顕著です。



香川県にあっても、古くは尽誠高校から最近は英明高校、大手前高校など私立高校が実力をつけて常に上位を占めるようになっています。愛媛も、済美高校や宇和島東高校、高知は明徳義塾高校、徳島は思いつきませんが少なくても徳島商業高校は上位に出てきていません。



確かに反面、「高松商野球部大嫌い層」の存在があるのも承知しています。それが、高商の学内外にあるのも知っています。小は、学内に「どうして野球部だけが特別枠扱いなのか」という他部OBの不満です。学内の部費分配も、過去には野球部が確かに別枠でした。



そして大は、「アンチ高商組」です。それが英明高校など、私立校の台頭につながっているとも思っています。なかには高商の合格ラインに届かなかった生徒もいると思うし、高商大好きだけど高商に相手にされず、逆にその存在を疎む層があるのも承知しています。



しかしその反面、高商に関係のない県民も、明治神宮大会の優勝に祝意を送ってくれています。そこには眈捷盥察高松第一高校はじめ、古くからのライバル校も拍手喝采です。高松市内の、老若男女が喜んでくれています。



明日の選抜大会出場が決まれば、高松を中心として、昔の活躍した若い頃の自分とダブらせて古豪高商の復活に、県内一円で喜びが広がると思います。加えて小豆島高校の、21世紀枠出場もあると思います。香川県内から2校の出場校となれば、これは経済効果も期待できます。



少なくても四商の内、眈松Χ塙盥三奮阿蓮沈んだままです。眈松Χ箸20年もの沈黙を破り、満を持していよいよ甲子園へ登場します。私自身も在学中1年生と、3年生で甲子園へ応援に行きました。3年生は受験生で、その当時の大西正純先生に、「甲子園など行っていたら通る大学はないぞ」と一喝されました。



今と違ってその頃の私は生意気盛り(今もそうか)で、「大学受験勉強は浪人でも出来る。現役応援は今しか出来ない」と3年生の夏は、1週間大阪の親戚の家に滞在して甲子園の応援へ行っていました。そこで野球のないときは一生懸命勉強していた?とおもいきや、正直寝てばかりいました。



こんな気持ちで、昨年11月の明治神宮大会へも行きました。私の生きているこれからの20年間に、高商が明治神宮大会へ出場することはないと考えました。甲子園へは、これから何度か行くと思いました。しかし四国1位でしか出場できない明治神宮大会へは、もう行く機会はないだろうと。



少なくても試合前にはそう思って、日程を調整しました。せめて第1試合の札幌第一高校には勝ってねという程度の期待でした。大阪桐蔭戦や敦賀気比戦での勝利があるとは思ってもいませんでした。それでいて、3試合の予定を入れました。航空券も、品川プリンスホテルも予約して。



最後に朝日新聞高松総局の、加藤あず佐記者と休波希(やすなみのぞむ)記者に感謝です。熱心な取材で、バランス良くまとまっている連載でした。しかし途中の小欄で書いたように、もう一つ「雨天練習場完成」が今の高商復活の大きなファクターです。これなくして、高商の明治神宮大会優勝はなかったと思います。



明治神宮野球大会を一緒に観た大北敏博(元巨人軍)も、自分がいた頃の高商とは打撃が違うと、大いに感嘆していました。確かにあの頃の高商野球部には、3番細川安雄(元阪急)4番大北敏博(元巨人軍)の二枚看板はいました。しかしその前後は、今の高商打撃陣とは確かに違います。今はどこからもチャンスメーク。


ホームページ委員会 委員長 松野誠寛

 



※クリックすると大きい画面をご覧頂けます。


 


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-28 14:23:07 (962 ヒット)

昨日の第3弾から記者が、休波希(やすなみのぞむ)記者に替わり、昨日が山口冨士雄先輩で、本日第4弾で若宮誠一元高商野球部監督が登場しました。私の知る限り、高商野球部の歴史上この2人の名前と顔を知らない人はいないと思います。いや香川の野球の顔として、その後も長く語り継がれています。



明治42年(1909)に誕生した高商野球部は、107年の歴史を誇っていますが、水原茂氏や西村正夫氏や牧野茂氏などは、戦前の高商野球を支えた人物です。選抜大会第1回優勝に代表されるように、戦前の限られた数の野球部間での優勝です。特に、西高東低のチーム差があった頃の結果です。



そんな中、先の大戦で解散になっていた高商野球部の再建に白羽の矢が立ったのが、1942年に高松商を卒業した若宮誠一(1926-2009)さんでした。二十歳過ぎの、若い監督だったと聞きました。高商を卒業後1度就職をして、教員として県職員になったと聞いています。



余談ですが、若宮誠一元高商野球部監督の御自宅は、仏生山駅徒歩10分の団地にあります。私と駅から自宅への方向は違いますが、同心円上に自宅があります。長く野球部部長をされた矢口稔先生も、同じ団地の中に居を構えていました。夜も、作戦会議だったのか。



高松商は、これまで春の選抜に25回出場し2回の優勝。夏の選手権に、19回出場して2回の優勝。その中で若宮誠一監督が率いて、13回の甲子園を経験しています。春に強い高松商は、若宮誠一監督で春9回夏4回の出場です。



ベスト8以上に勝ち進んだのが6回。58年の国体優勝、60年春の選抜優勝、61年の選抜準優勝も若宮監督が率いたチームの実績です。体育館前には、顕彰石もあります。83年に体調不良で監督の座を退いたが、晩年高松商近くのマンションを借りて、グランドを注視していたというのは有名な話しです。



さらに若宮監督の指導した子どもらが、監督として母校高商監督として続きました。若宮監督は自ら3度監督に就任しましたが、本日27日朝日新聞にあった「戦後高松商を甲子園へ導いた監督」順にある、「前川昌三監督」「岡田紀明監督」「久保政道監督」「宮武学監督」のいずれも若宮監督の教え子です。



私の入学した1968年(昭和43年戊申つちのえさる)当時の監督は、岡田紀明監督でしたが、夏の甲子園に出場しています。もちろん私も応援に行きました。次の久保政道監督も、若宮教え子の1人ですが、春4回、夏6回の甲子園出場を果たし大いに期待が広がりましたが、結果的に若くして他界されました。



その後若宮誠一氏が、3度目の監督に復帰しています。記事の副題も、「守って守って守る甲子園13回」とあります。高商野球は今も変わりませんが、無死出塁、あるいは一死出塁でも次は必ずバントです。特に今の長尾健司監督は、打者が3番米麦圭造君(よねばくけいぞう)でも、4番植田響介君でもバントです。



「守って、守って、守る。打撃練習は1日に十数本で、あとはずっと守備だった」と2度の甲子園を経験した岡田紀明監督は語っています。こんな伝統の戦い方の中で、2年半前「雨天練習場」が、完成しました。4,180万円の工事費を、高商が寄附等で集めました。もちろん私も、山口冨士雄先輩程度しました。



守って、守って、守る伝統の練習は、グランド全面が使える週半分で取組、プラスバッティングマシンで打ち込みました。これが、若宮誠一元高商野球部監督の時代と違うところです。バントで送り、2死2・3塁では、冗談交じりに「ホールに当たれ」が作戦でした。今は単打でつなぎ、大量点をたたき出しています。



しかし戦う相手は、近代兵器を用いて全国から有望選手を底引き網でえぐり獲るような作戦の私立高校チームです。聞いたことのないような校名が、甲子園記事に踊ります。全国各地の公立高校の名前は、残念ながら消え去りました。同時に、大阪PL高校のような私立さえ、古豪は休火山化しています。



記事タイトルのように、「伝統と変革」が上手く機能し始めた古豪高商、明後日の選抜出場校の発表が待たれます。甲子園出場を熱望されて彼岸へ渡った若宮誠一元監督の喜ぶ顔が、浮かびます。

 


ホームページ委員会 委員長 松野誠寛



 ※クリックすると大きい画面をご覧頂けます。


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-27 12:39:29 (590 ヒット)

3回目の今日は、山口冨士雄先輩の登場です。1960年(昭和35年)の選抜大会。米子東(鳥取)と迎えた優勝戦。1-1の同点で迎えた9回裏、先頭打者として打席に入った山口冨士雄先輩は、カウント1-2と追い込まれながら内角寄りの甘い直球を夢中で振り抜き、左翼ラッキーゾーンへのホームランを打ちました。



この時私は、8歳の小学生でした。近所の八百屋さんにあった白黒テレビを取り囲み、大勢で観ていて、サヨナラゲームを確認して、喜び勇んで自宅へ帰ったのを今でもハッキリと覚えています。八百屋さんも高商卒、父親も高商でしたが、後に卒業名簿を見て父茂が卒業していないことを知りました。ショックでした。



高商の全国優勝は、この半世紀前のこの時から昨年の神宮野球大会までなかったのです。過去に春の選抜2回、夏の選手権2回、国体1回優勝と華々しい活躍をした高商ですが、この30-40年はまずまずでした。その間に、柔道剣道、サッカーとかハンドボール、はたまたソフトボール、ヨットが活躍しています。



また文化部も、ブラスバンド、ソロバン、ワープロを先頭に、10年前頃から「書道パフォーマンス」等、また進学も香川大学医学部の部長先生が高商OBというレベルにあります。文武両道の輝かしい活躍をするわが後輩です。



過去の野球人としては1927年卒の宮武三郎氏から、1928年卒水原茂氏、途中から愛知商へ転校したが牧野茂氏、1959年阪急黄金時代の正捕手として活躍した岡村浩二氏、1986年卒大森剛氏など多くの野球人を輩出した高商でした。



また私の在席した昭和43-46年(1968年)は、大北敏博(元巨人)細川安雄(元阪急)の大型バッテリーで、甲子園へ3度出場し、3年の夏はベスト8まで勝ち進んだと記憶しています。隣の愛媛県も松山商が、大活躍でした。この2年前(昭和44)年に、三沢―松山商の伝説の一戦があったと記憶しています。



余談ですがこの松山商の選手が大量に明治大学野球部へ入り、私は東京六大学野球も楽しませてもらいました。三沢の太田投手はプロで活躍し、松山商の井上投手は明大卒後朝日新聞社へ入社。高校大学野球にまつわる話題は、豊富にあります。幸せな、日本の高度経済成長とともに歩めた、野球世代の私です。



その山口冨士雄先輩は、現在「高商倶楽部」の副代表をされています。良く高商はOBがうるさく口出しすると聞きますが、私が知る限りで、山口冨士雄先輩がその1人だとは聞いたことがありません。地元の企業で勤務されながら、後輩の面倒を実に良く見ています。



呑みに行っても山口冨士雄先輩が、全員の勘定を持ちます。私も何度か誘われるにつけて、「自分も」と少しだけ負担するようにしました。球場へ足を運び、試合を観るときは、出来る限り山口冨士雄先輩の近くで観ます。何もおっしゃらないのですが、訊くと答えてくれます。高商バイブルの1人、山口冨士雄先輩です。


ホームページ委員会 委員長 松野誠寛



※クリックすると大きい画面をご覧頂けます。


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-26 12:15:03 (584 ヒット)

昨日(1月24日(日))から、朝日新聞香川県版に高商野球部の記事が連載されています。本日はその2回目で、「二つの敗戦が転機に」と題して、昨日と同じ加藤あず佐記者の署名記事です。私もこの切り口には、敬意を表します。試合を見ていた者としては、その通りだと声を大にしたい。



加藤記者が取り上げる敗戦の一つは、2015年の夏の大会で高商は2年生6人が先発する若い布陣で準々決勝まで勝ち上がり、準決勝戦で丸亀城西に6-9で敗れて、甲子園出場の夢が潰えた。全試合に先発して大活躍の浦大揮君が、打ち込まれた。やはり夏は、ピッチャー1人では勝てない。そう実感した瞬間でした。



次の敗戦は、昨年2015年9月3年生が卒部し、新たに結成されたチームで秋季県大会を危なげなく勝ち上がった。くじ運も良かったのか、コールドゲームには本塁打も飛び出し、私もこれは良い線まで行くぞと力が入った。そして迎えた決勝の小豆島戦。戦う前から高商「優勝」の二文字が、頭の中によぎる。



しかし結果は、1-2で延長12回、小豆島に敗れた。夏の選手権香川大会ではコールド勝ちした小豆島に敗れた。まさかの敗戦でした。打線も好調で、それだけ大物狙いのバッティングを心配していたのが、まさに的中してしまった。狙うはセンター返しの単打なのに、外野へフライを連発。



この試合浦大揮投手は、15奪三振を奪っていた。普通に単打を狙っていたら、3〜5点は獲れていただろうに。「つなぐ高商の野球が出来ていない」、誰しもがそう思った。ここまでホームランも数本飛び出していたし、1人じゃなくて、3〜4人が打っていた。大振りになってしまった。



応援席で見ていると、ホームランやヒットは2桁程度出るが、バントを失敗するし、キャッチャーのパスボールも目立った。一口に言ったら「雑な野球」をしていた。小豆島に負けるとは思っていなかったが、試合後は負けるべして負けたと思いました。選手ばかりでなく、応援する側にも心の隙があった。



大相撲と高校野球を比べると失礼だが、琴奨菊も13日豊ノ島に負けて良かったのかも知れない。それでも賜杯を手にしたのは、立派な努力が実った結果です。彼のインタビューを聞いていると、決して優勝が附録ではないことが伝わります。恐らく、次か次の次ぎの場所には横綱まで行くでしょう。



加藤あず佐記者が書いているように、特にあの小豆島戦が選手の意識を変革させたと私も思っています。昨日の小欄にも書きましたが、四国地区大会はともかくとして明治神宮大会は、「幸運」が味方してくれたと思うのですが、一生懸命やっている子らへの神の贈り物だと私は思っています。


ホームページ委員会 委員長 松野 誠寛





※クリックすると画像が大きくなります。


 


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-25 10:03:00 (687 ヒット)

 朝日新聞高松総局休波希記者がやって来た


直接の来社目的は、昨年11月15〜17日の明治神宮大会の球場撮影の写真が欲しいというものでした。まわりまわって、私のところまでやってきました。写真と言っても私のカメラは馬鹿チョンカメラで、記者さんが使うような高性能カメラではないのです。


そんなカメラで撮った写真が使えるのかと思うのだが、それでもわざわざやって来た休波希(やすなみのぞむ)記者の熱意に負けて、全部の写真を見せて、自由に持って帰って自由に使って良いと許可を出した。28日の木曜日の香川県版に、掲載されると言う。


なに、では高松商野球部の記事が朝日新聞香川版に連載されるの?「はい今日(24日)から第1回です」。まてよ明治神宮大会の後の全国大会は、「選抜高校野球大会だよな。選抜大会は毎日新聞社主催ではないの」。私は、朝日新聞の休波記者に、思わず尋ねた。


私も知らなかったのですが、春の大会と夏の大会は「相互乗り入れ」しているそうで、選抜高校野球大会に朝日新聞社は協賛(後援だったか)している。それで先の神宮大会でも、優勝戦の敦賀気比戦では、高松商の取材に記者を派遣したと。確かに記者はいたし、下の写真はその時のものだ。


理由はともかくとして、今日からシリーズで高商野球部が記事になっていると聞いて、朝日新聞を買い求めてコンビニへ走りました。半5段の扱いで、写真付きで大きく紹介されています。記事のタイトルは、「軌跡・高商伝統と変革」考える野球で新生となっています。


記事を読むと、今の高商の活躍は長尾健司監督の就任にあると言う、当時の細松英正(62)香川県教育長の言葉が全てを象徴している。「OB外異例の監督人事きっかけ」と、新聞の活字も踊る。これには前横山賢治校長も、深く関係している。インサイダー情報になるから詳細は書けないが、好循環の歯車が回り始めた。


確かに昔のやり方を踏襲していただけでは、今の「強い高商」はなかっただろう。その前に苦労して完成させた、「雨天練習場」のバッティングゲージも大いに貢献をしている。今の高商チームは、どこからでも点が取れる。昔の、3番4番大砲頼りのバッティングとは変わった。


1番の安西翼君から、9番荒内俊輔君・大熊達也君・吉田敬瑚君どこからもヒットが飛び出す。盗塁は、ノーサインでも走る。考える野球をしようとして、選手はもがきながら、成長している。確かに近くで見ていた私も、神宮大会は「幸運」が味方してくれたと思うのですが、一生懸命やっている子らへの神の贈り物か。


新生高商が産まれて今、義務教育課程が始まったようです。私がいた頃(野球部ではないが)のような、先輩から後輩への「愛の尻バット」などはもういらない。夏の練習でも、水を飲むのは禁止でした。今考えると、あり得ない常識でした。肩を冷やすからと、水泳も禁止して、どの指導者もあまり考えていなかった。


このように考えると、昔と真逆をやれば強い高商になるのか。否、私はそうは思わない。この点は、長尾健司監督も同じだ。野球馬鹿を作っても仕方ないことで、「野球を通じて人間の道を学んでもらいたい」。良かったこれがなくては、3〜5年程度の高商天下で終わるだろう。


ホームページ委員会 委員長 松野 誠寛



※クリックで大きい画像が大きくなります。


 


投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-13 17:57:31 (374 ヒット)



« 1 2 3 (4) 5 6 7 ... 9 »
サイト内検索
紫雲会これからの予定
PR

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

banner

紫雲会