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投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-28 20:00:34 (583 ヒット)

シリーズの最後も、休波希(やすなみのぞむ)記者のまとめた記事です。明日の選抜出場校の発表を前にして、「軌跡高商伝統と変革」と題して5回に分けて高商野球の伝統と変革について書いています。要するに伝統にばかり頼ってあぐらをかいてはいけない、変革も必要だという意図ではないかと思います。



最終回の今日は、「高商の復活」がもたらす効果についてまとめています。高松のみならず、団塊の世代らには「強かった高商」の記憶がまだまだ残っています。全国的にも常勝校の入れ替えが、速いスピードで進んでいます。昨日の小欄で書いたとおり、一点集中の私立高校野球部が台頭してきています。



私も高商紫雲会の副会長として、紫雲会東京支部や大阪支部の総会に顔を出しています。挨拶では必ず、「甲子園へはいつ行くのか」という詰問があります。もちろん紫雲会役員が悪いのではありませんが、それでも高商イコール「甲子園」という公式が今でも生きていることも事実です。



過去には四国も、「四商」を中心として公立高校野球部が活躍をしていました。香川県は眈松Χ塙盥察愛媛県は松山商業高校、高知県は高知商業高校、徳島県では徳島商業高校です。しかし前に書いたとおり、私立高校野球部の台頭が顕著です。



香川県にあっても、古くは尽誠高校から最近は英明高校、大手前高校など私立高校が実力をつけて常に上位を占めるようになっています。愛媛も、済美高校や宇和島東高校、高知は明徳義塾高校、徳島は思いつきませんが少なくても徳島商業高校は上位に出てきていません。



確かに反面、「高松商野球部大嫌い層」の存在があるのも承知しています。それが、高商の学内外にあるのも知っています。小は、学内に「どうして野球部だけが特別枠扱いなのか」という他部OBの不満です。学内の部費分配も、過去には野球部が確かに別枠でした。



そして大は、「アンチ高商組」です。それが英明高校など、私立校の台頭につながっているとも思っています。なかには高商の合格ラインに届かなかった生徒もいると思うし、高商大好きだけど高商に相手にされず、逆にその存在を疎む層があるのも承知しています。



しかしその反面、高商に関係のない県民も、明治神宮大会の優勝に祝意を送ってくれています。そこには眈捷盥察高松第一高校はじめ、古くからのライバル校も拍手喝采です。高松市内の、老若男女が喜んでくれています。



明日の選抜大会出場が決まれば、高松を中心として、昔の活躍した若い頃の自分とダブらせて古豪高商の復活に、県内一円で喜びが広がると思います。加えて小豆島高校の、21世紀枠出場もあると思います。香川県内から2校の出場校となれば、これは経済効果も期待できます。



少なくても四商の内、眈松Χ塙盥三奮阿蓮沈んだままです。眈松Χ箸20年もの沈黙を破り、満を持していよいよ甲子園へ登場します。私自身も在学中1年生と、3年生で甲子園へ応援に行きました。3年生は受験生で、その当時の大西正純先生に、「甲子園など行っていたら通る大学はないぞ」と一喝されました。



今と違ってその頃の私は生意気盛り(今もそうか)で、「大学受験勉強は浪人でも出来る。現役応援は今しか出来ない」と3年生の夏は、1週間大阪の親戚の家に滞在して甲子園の応援へ行っていました。そこで野球のないときは一生懸命勉強していた?とおもいきや、正直寝てばかりいました。



こんな気持ちで、昨年11月の明治神宮大会へも行きました。私の生きているこれからの20年間に、高商が明治神宮大会へ出場することはないと考えました。甲子園へは、これから何度か行くと思いました。しかし四国1位でしか出場できない明治神宮大会へは、もう行く機会はないだろうと。



少なくても試合前にはそう思って、日程を調整しました。せめて第1試合の札幌第一高校には勝ってねという程度の期待でした。大阪桐蔭戦や敦賀気比戦での勝利があるとは思ってもいませんでした。それでいて、3試合の予定を入れました。航空券も、品川プリンスホテルも予約して。



最後に朝日新聞高松総局の、加藤あず佐記者と休波希(やすなみのぞむ)記者に感謝です。熱心な取材で、バランス良くまとまっている連載でした。しかし途中の小欄で書いたように、もう一つ「雨天練習場完成」が今の高商復活の大きなファクターです。これなくして、高商の明治神宮大会優勝はなかったと思います。



明治神宮野球大会を一緒に観た大北敏博(元巨人軍)も、自分がいた頃の高商とは打撃が違うと、大いに感嘆していました。確かにあの頃の高商野球部には、3番細川安雄(元阪急)4番大北敏博(元巨人軍)の二枚看板はいました。しかしその前後は、今の高商打撃陣とは確かに違います。今はどこからもチャンスメーク。


ホームページ委員会 委員長 松野誠寛

 



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投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-28 14:23:07 (778 ヒット)

昨日の第3弾から記者が、休波希(やすなみのぞむ)記者に替わり、昨日が山口冨士雄先輩で、本日第4弾で若宮誠一元高商野球部監督が登場しました。私の知る限り、高商野球部の歴史上この2人の名前と顔を知らない人はいないと思います。いや香川の野球の顔として、その後も長く語り継がれています。



明治42年(1909)に誕生した高商野球部は、107年の歴史を誇っていますが、水原茂氏や西村正夫氏や牧野茂氏などは、戦前の高商野球を支えた人物です。選抜大会第1回優勝に代表されるように、戦前の限られた数の野球部間での優勝です。特に、西高東低のチーム差があった頃の結果です。



そんな中、先の大戦で解散になっていた高商野球部の再建に白羽の矢が立ったのが、1942年に高松商を卒業した若宮誠一(1926-2009)さんでした。二十歳過ぎの、若い監督だったと聞きました。高商を卒業後1度就職をして、教員として県職員になったと聞いています。



余談ですが、若宮誠一元高商野球部監督の御自宅は、仏生山駅徒歩10分の団地にあります。私と駅から自宅への方向は違いますが、同心円上に自宅があります。長く野球部部長をされた矢口稔先生も、同じ団地の中に居を構えていました。夜も、作戦会議だったのか。



高松商は、これまで春の選抜に25回出場し2回の優勝。夏の選手権に、19回出場して2回の優勝。その中で若宮誠一監督が率いて、13回の甲子園を経験しています。春に強い高松商は、若宮誠一監督で春9回夏4回の出場です。



ベスト8以上に勝ち進んだのが6回。58年の国体優勝、60年春の選抜優勝、61年の選抜準優勝も若宮監督が率いたチームの実績です。体育館前には、顕彰石もあります。83年に体調不良で監督の座を退いたが、晩年高松商近くのマンションを借りて、グランドを注視していたというのは有名な話しです。



さらに若宮監督の指導した子どもらが、監督として母校高商監督として続きました。若宮監督は自ら3度監督に就任しましたが、本日27日朝日新聞にあった「戦後高松商を甲子園へ導いた監督」順にある、「前川昌三監督」「岡田紀明監督」「久保政道監督」「宮武学監督」のいずれも若宮監督の教え子です。



私の入学した1968年(昭和43年戊申つちのえさる)当時の監督は、岡田紀明監督でしたが、夏の甲子園に出場しています。もちろん私も応援に行きました。次の久保政道監督も、若宮教え子の1人ですが、春4回、夏6回の甲子園出場を果たし大いに期待が広がりましたが、結果的に若くして他界されました。



その後若宮誠一氏が、3度目の監督に復帰しています。記事の副題も、「守って守って守る甲子園13回」とあります。高商野球は今も変わりませんが、無死出塁、あるいは一死出塁でも次は必ずバントです。特に今の長尾健司監督は、打者が3番米麦圭造君(よねばくけいぞう)でも、4番植田響介君でもバントです。



「守って、守って、守る。打撃練習は1日に十数本で、あとはずっと守備だった」と2度の甲子園を経験した岡田紀明監督は語っています。こんな伝統の戦い方の中で、2年半前「雨天練習場」が、完成しました。4,180万円の工事費を、高商が寄附等で集めました。もちろん私も、山口冨士雄先輩程度しました。



守って、守って、守る伝統の練習は、グランド全面が使える週半分で取組、プラスバッティングマシンで打ち込みました。これが、若宮誠一元高商野球部監督の時代と違うところです。バントで送り、2死2・3塁では、冗談交じりに「ホールに当たれ」が作戦でした。今は単打でつなぎ、大量点をたたき出しています。



しかし戦う相手は、近代兵器を用いて全国から有望選手を底引き網でえぐり獲るような作戦の私立高校チームです。聞いたことのないような校名が、甲子園記事に踊ります。全国各地の公立高校の名前は、残念ながら消え去りました。同時に、大阪PL高校のような私立さえ、古豪は休火山化しています。



記事タイトルのように、「伝統と変革」が上手く機能し始めた古豪高商、明後日の選抜出場校の発表が待たれます。甲子園出場を熱望されて彼岸へ渡った若宮誠一元監督の喜ぶ顔が、浮かびます。

 


ホームページ委員会 委員長 松野誠寛



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投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-27 12:39:29 (525 ヒット)

3回目の今日は、山口冨士雄先輩の登場です。1960年(昭和35年)の選抜大会。米子東(鳥取)と迎えた優勝戦。1-1の同点で迎えた9回裏、先頭打者として打席に入った山口冨士雄先輩は、カウント1-2と追い込まれながら内角寄りの甘い直球を夢中で振り抜き、左翼ラッキーゾーンへのホームランを打ちました。



この時私は、8歳の小学生でした。近所の八百屋さんにあった白黒テレビを取り囲み、大勢で観ていて、サヨナラゲームを確認して、喜び勇んで自宅へ帰ったのを今でもハッキリと覚えています。八百屋さんも高商卒、父親も高商でしたが、後に卒業名簿を見て父茂が卒業していないことを知りました。ショックでした。



高商の全国優勝は、この半世紀前のこの時から昨年の神宮野球大会までなかったのです。過去に春の選抜2回、夏の選手権2回、国体1回優勝と華々しい活躍をした高商ですが、この30-40年はまずまずでした。その間に、柔道剣道、サッカーとかハンドボール、はたまたソフトボール、ヨットが活躍しています。



また文化部も、ブラスバンド、ソロバン、ワープロを先頭に、10年前頃から「書道パフォーマンス」等、また進学も香川大学医学部の部長先生が高商OBというレベルにあります。文武両道の輝かしい活躍をするわが後輩です。



過去の野球人としては1927年卒の宮武三郎氏から、1928年卒水原茂氏、途中から愛知商へ転校したが牧野茂氏、1959年阪急黄金時代の正捕手として活躍した岡村浩二氏、1986年卒大森剛氏など多くの野球人を輩出した高商でした。



また私の在席した昭和43-46年(1968年)は、大北敏博(元巨人)細川安雄(元阪急)の大型バッテリーで、甲子園へ3度出場し、3年の夏はベスト8まで勝ち進んだと記憶しています。隣の愛媛県も松山商が、大活躍でした。この2年前(昭和44)年に、三沢―松山商の伝説の一戦があったと記憶しています。



余談ですがこの松山商の選手が大量に明治大学野球部へ入り、私は東京六大学野球も楽しませてもらいました。三沢の太田投手はプロで活躍し、松山商の井上投手は明大卒後朝日新聞社へ入社。高校大学野球にまつわる話題は、豊富にあります。幸せな、日本の高度経済成長とともに歩めた、野球世代の私です。



その山口冨士雄先輩は、現在「高商倶楽部」の副代表をされています。良く高商はOBがうるさく口出しすると聞きますが、私が知る限りで、山口冨士雄先輩がその1人だとは聞いたことがありません。地元の企業で勤務されながら、後輩の面倒を実に良く見ています。



呑みに行っても山口冨士雄先輩が、全員の勘定を持ちます。私も何度か誘われるにつけて、「自分も」と少しだけ負担するようにしました。球場へ足を運び、試合を観るときは、出来る限り山口冨士雄先輩の近くで観ます。何もおっしゃらないのですが、訊くと答えてくれます。高商バイブルの1人、山口冨士雄先輩です。


ホームページ委員会 委員長 松野誠寛



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投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-26 12:15:03 (512 ヒット)

昨日(1月24日(日))から、朝日新聞香川県版に高商野球部の記事が連載されています。本日はその2回目で、「二つの敗戦が転機に」と題して、昨日と同じ加藤あず佐記者の署名記事です。私もこの切り口には、敬意を表します。試合を見ていた者としては、その通りだと声を大にしたい。



加藤記者が取り上げる敗戦の一つは、2015年の夏の大会で高商は2年生6人が先発する若い布陣で準々決勝まで勝ち上がり、準決勝戦で丸亀城西に6-9で敗れて、甲子園出場の夢が潰えた。全試合に先発して大活躍の浦大揮君が、打ち込まれた。やはり夏は、ピッチャー1人では勝てない。そう実感した瞬間でした。



次の敗戦は、昨年2015年9月3年生が卒部し、新たに結成されたチームで秋季県大会を危なげなく勝ち上がった。くじ運も良かったのか、コールドゲームには本塁打も飛び出し、私もこれは良い線まで行くぞと力が入った。そして迎えた決勝の小豆島戦。戦う前から高商「優勝」の二文字が、頭の中によぎる。



しかし結果は、1-2で延長12回、小豆島に敗れた。夏の選手権香川大会ではコールド勝ちした小豆島に敗れた。まさかの敗戦でした。打線も好調で、それだけ大物狙いのバッティングを心配していたのが、まさに的中してしまった。狙うはセンター返しの単打なのに、外野へフライを連発。



この試合浦大揮投手は、15奪三振を奪っていた。普通に単打を狙っていたら、3〜5点は獲れていただろうに。「つなぐ高商の野球が出来ていない」、誰しもがそう思った。ここまでホームランも数本飛び出していたし、1人じゃなくて、3〜4人が打っていた。大振りになってしまった。



応援席で見ていると、ホームランやヒットは2桁程度出るが、バントを失敗するし、キャッチャーのパスボールも目立った。一口に言ったら「雑な野球」をしていた。小豆島に負けるとは思っていなかったが、試合後は負けるべして負けたと思いました。選手ばかりでなく、応援する側にも心の隙があった。



大相撲と高校野球を比べると失礼だが、琴奨菊も13日豊ノ島に負けて良かったのかも知れない。それでも賜杯を手にしたのは、立派な努力が実った結果です。彼のインタビューを聞いていると、決して優勝が附録ではないことが伝わります。恐らく、次か次の次ぎの場所には横綱まで行くでしょう。



加藤あず佐記者が書いているように、特にあの小豆島戦が選手の意識を変革させたと私も思っています。昨日の小欄にも書きましたが、四国地区大会はともかくとして明治神宮大会は、「幸運」が味方してくれたと思うのですが、一生懸命やっている子らへの神の贈り物だと私は思っています。


ホームページ委員会 委員長 松野 誠寛





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投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-25 10:03:00 (592 ヒット)

 朝日新聞高松総局休波希記者がやって来た


直接の来社目的は、昨年11月15〜17日の明治神宮大会の球場撮影の写真が欲しいというものでした。まわりまわって、私のところまでやってきました。写真と言っても私のカメラは馬鹿チョンカメラで、記者さんが使うような高性能カメラではないのです。


そんなカメラで撮った写真が使えるのかと思うのだが、それでもわざわざやって来た休波希(やすなみのぞむ)記者の熱意に負けて、全部の写真を見せて、自由に持って帰って自由に使って良いと許可を出した。28日の木曜日の香川県版に、掲載されると言う。


なに、では高松商野球部の記事が朝日新聞香川版に連載されるの?「はい今日(24日)から第1回です」。まてよ明治神宮大会の後の全国大会は、「選抜高校野球大会だよな。選抜大会は毎日新聞社主催ではないの」。私は、朝日新聞の休波記者に、思わず尋ねた。


私も知らなかったのですが、春の大会と夏の大会は「相互乗り入れ」しているそうで、選抜高校野球大会に朝日新聞社は協賛(後援だったか)している。それで先の神宮大会でも、優勝戦の敦賀気比戦では、高松商の取材に記者を派遣したと。確かに記者はいたし、下の写真はその時のものだ。


理由はともかくとして、今日からシリーズで高商野球部が記事になっていると聞いて、朝日新聞を買い求めてコンビニへ走りました。半5段の扱いで、写真付きで大きく紹介されています。記事のタイトルは、「軌跡・高商伝統と変革」考える野球で新生となっています。


記事を読むと、今の高商の活躍は長尾健司監督の就任にあると言う、当時の細松英正(62)香川県教育長の言葉が全てを象徴している。「OB外異例の監督人事きっかけ」と、新聞の活字も踊る。これには前横山賢治校長も、深く関係している。インサイダー情報になるから詳細は書けないが、好循環の歯車が回り始めた。


確かに昔のやり方を踏襲していただけでは、今の「強い高商」はなかっただろう。その前に苦労して完成させた、「雨天練習場」のバッティングゲージも大いに貢献をしている。今の高商チームは、どこからでも点が取れる。昔の、3番4番大砲頼りのバッティングとは変わった。


1番の安西翼君から、9番荒内俊輔君・大熊達也君・吉田敬瑚君どこからもヒットが飛び出す。盗塁は、ノーサインでも走る。考える野球をしようとして、選手はもがきながら、成長している。確かに近くで見ていた私も、神宮大会は「幸運」が味方してくれたと思うのですが、一生懸命やっている子らへの神の贈り物か。


新生高商が産まれて今、義務教育課程が始まったようです。私がいた頃(野球部ではないが)のような、先輩から後輩への「愛の尻バット」などはもういらない。夏の練習でも、水を飲むのは禁止でした。今考えると、あり得ない常識でした。肩を冷やすからと、水泳も禁止して、どの指導者もあまり考えていなかった。


このように考えると、昔と真逆をやれば強い高商になるのか。否、私はそうは思わない。この点は、長尾健司監督も同じだ。野球馬鹿を作っても仕方ないことで、「野球を通じて人間の道を学んでもらいたい」。良かったこれがなくては、3〜5年程度の高商天下で終わるだろう。


ホームページ委員会 委員長 松野 誠寛



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投稿者 : admin 投稿日時: 2016-01-13 17:57:31 (322 ヒット)



投稿者 : admin 投稿日時: 2015-12-26 11:01:27 (421 ヒット)

神宮大会での活躍をうけ、香川県内のマスコミが今年活躍したスポーツ選手などに贈る『香川スポーツ賞』に高商野球部が選ばれました!


詳しくは RNC西日本放送のサイトにてご覧ください。 >>>コチラ


投稿者 : admin 投稿日時: 2015-12-26 10:49:45 (486 ヒット)

四国新聞の読者が投票で選ぶ「2015年県内10大ニュース」の1位に「高松商、明治神宮野球大会で県勢初優勝」が選ばれました!

高商野球部の神宮での活躍は、香川県民の皆様にも大きな勇気と元気を与えてくれたようです。



詳しくは 四国新聞サイトにてご覧ください。 >>>こちら

 


投稿者 : admin 投稿日時: 2015-12-02 13:12:26 (923 ヒット)

明治神宮野球大会より、先に決まっていた12月1日のこの祝賀会。ごくごく内輪での祝賀会の計画で、ホテルオークラ高松開催の案内をしていました。ところが周知の通り、明治神宮大会で優勝したもので、はたしてどうしたものかと高商倶楽部(野球部後援会)我部山耕造会長は思案したと、冒頭の挨拶で吐露されていました。
 
明治神宮野球大会優勝祝賀会となると、高商関係者はもとより広範囲に案内しなければならないという心配もあり、とにかく30年ぶりのことで、右往左往しています。本日は当初計画通り、冒頭の祝賀会ですが来賓には、西原義一県教育長と大山一郎県議が駆けつけて下さいました。
 
紫雲会真鍋健彦会長、野球部後援会齋藤和良紫雲会前会長、中筋政人校長先生と挨拶が続き、犬伏英人部長の話も実感がこもり、最後のとりは長尾健司監督でした。監督は非常に緊張した面持ちで、喜びの顔はありませんでした。ホッとする内輪話しは、明治神宮野球大会の優勝戦に、奥様とお母さんを呼んだとか。
 
「幸運に恵まれとんとん拍子の全国制覇では、まだ真の全国優勝とは言い難い」というのが長尾健司監督の言葉です。私もそうだとは思いますが、今日ぐらいは、もっとリラックスしてもいいのではないかと感じました。長尾健司監督には、これまでと違ったプレッシャーがすでに重く乗りかかっています。
 
高商倶楽部や、高商野球部後援会と高商紫紺会関係者約70名の小祝賀会でしたが、参加者は香川県大会、四国大会、明治神宮野球大会と多くの試合を見ているファンであり、これまでの12試合を振り返って思い出話に花が咲いていました。中でも象徴的だったのは、歴代4人の校長先生の挨拶です。
 
今一歩で甲子園の切符を逃したという話しが、それぞれの元校長からありました。どの人も等しく、高商野球部の古豪復活を待ち望んでいます。昨今は、私立高校が台頭し、公立高校はどこでも昔の面影はありません。しかし高商野球部だけになっても、頑張ってほしいものです。

 


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