
新年明けましておめでとうございます。ホームページ委員会も頑張ります。まず正月6日に、ひろば平安閣で開催された高商野球部後援会の新年会からスタートします。
香川県立高松商業高等学校には、多くの後援会がありますがまず全体を俯瞰している「紫雲会」。これは卒業生全員が対象の、後援会であります。加えて野球部はその歴史も古く、伝統もあり、この高商野球部後援会と高商倶楽部があります。後者は野球部OBで構成されています。
毎年正月2日に総会を開いている高商倶楽部で、山口富士雄先輩が新会長に就任されたとか。山口富士雄先輩は、昭和35年の第32回選抜甲子園大会でサヨナラホームランを打って、高商優勝の立役者になったチームの主将でした。
2年生左腕の松下利夫(明大→四国電力)を擁して勝ち進み、決勝で米子東と対戦。宮本洋二郎投手(巨人→広島→南海)から、史上初となる決勝戦サヨナラ本塁打を放ち2x-1で優勝する(この大会唯一の本塁打でもあった)プロ野球阪急で内野手として活躍し、捕手の岡村さんと名コンビを組んだと聞いています。
巨人の土井正三さんが、1969年の日本シリーズでホームへ突入したシーンがあり、主審がセーフを宣して、岡村捕手が激高し退場になったことがあります。私もなぜかそのシーンは覚えていますが、その時岡村捕手に送球したのが山口富士雄選手だったと今日聞きました。
傍目にはブロックが完全に成功したように見えたが、球審の岡田功はセーフの判定を下した。この判定を信じられず激昂した岡村は同球審に暴力を振るい、日本シリーズ史上初の退場処分を受けた。
試合後、川上監督は土井に「ベースを踏んだのか」と聞くと、土井は「踏んだ」と無表情に答えたという。その翌10月31日に岡村のブロックを掻い潜って股の間からホームベースを踏む土井の足を写した写真が、各新聞の第一面に掲載された。
このことから、土井の走塁技術と審判の的確さが賞賛された。同走塁はメディアにおいて「奇跡の走塁」と評され、土井は「忍者」と称された。山口富士雄選手は、名場面を作る名人です。
さて新年会ですが、「新春ミニ講演会」が2つ。四国新聞で高商の応援文をたびたび掲載さて下さっている木原光司氏と、JR四国野球部監督佐野晃の「高商談義」がありました。やはり若宮誠一元高商野球部監督の話が出てきます。古豪復活への道のりが続きます。
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