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高松商業 ヨット部
2023年の世界選手権における清算ができましたので、これまでかかりました経費をご報告いたします。
今年の卒業式は昨年5月、新型コロナウィルス感染症が5類になって、通常の学園生活が送れるようになって、初めての卒業式です。本日は、高商紫雲会岡義博会長の代行で、私が令和5年度卒業証書授与式に参加しました。過去には紫雲会副会長以下役員も案内されていましたが、コロナ前頃から会長一人の出席となり、今日も祝辞がありませんでした。卒業証書も総代だけが壇上で、山本主税校長から受け取り、その他は教室で担任から授与されるそうです。時短が計られています。
時代と共に時短が計られ、壇上にいる私でさえ印象に残ったのは、20代山本主税校長の式辞と、卒業生総代南原さんの答辞の二つでした。校長式辞は、3つのキーワードが投げかけられました。『感謝・進取・愛される人になれ』と、山本主税校長は実に熱く語りかけていました。南原君の答辞は艱難辛苦の3年間、柔道にかけた喜怒哀楽は聞くモノの涙を誘っていました。特に「お父さんお母さん・・・」の下りは、壇上で聞くモノまでも涙の海に誘います。
私も50年前、ここを卒業しましたが、受験の関係で卒業式には参加できず、神奈川県川崎市内で悶々とした時間を過ごしていました。今日を迎えるとあの苦しかった悶々とした時間と、「お父さんお母さん・・・」を思いだします。高校卒業式は、人生2度目の旅立ち、人間を大きくします。青年よ大志を抱き、大海に帆を揚げよ。
前日の29日(木)の昼前、北体育館で『紫雲会入会式』が執り行われました。紫雲会から岡義博会長と私松野誠寛が参加し、加えて東京支部から堀眞英支部長、大阪支部から外山公一支部長が遠路わざわざ来高されて、各支部の取り組みについて説明をされていました。「困った時に頼って下さい」の言葉に、3年生はうなずいていました。本校も同じですが、若者の参加が総会をはじめどの行事でも悪いのに頭を痛めています。
この悩みに紫雲会ホームページ委員会では、携帯メールのアドレスを集める作戦をここ2〜3年続けていましたが、若者はメールなど見ないと言われ急遽LINEの公式ページを作成し、QRコードを発表しました。これだと本名も住所もなくて、つながります。どこまで実用に耐えられるか未知の世界ですが、山本主税校長の式辞に従い進取に取り組んでみます。
QRコードの読み込みや登録は、卒業生であれば老若男女ができます。是非やってみて下さい。LINEの書き込みはホームページ委員会からだけに限定し、うっとうしい煩わしいはないと予想しています。ホームページに掲載したタイトル程度をLINEで流し、HPを見てもらうように考えています。
ホームページ委員会の松野誠寛です。
年の瀬で年末のご挨拶をするところですが、紫雲会大阪支部の大森茂(事務局長)さんから紫雲会の名前をかたった名簿詐欺が確認されたとの注意喚起のメールが届きました。
26日に今年最後のホームページ委員会を開催し、新しい紫雲会名簿についても意見の交換をしました。この件につきましてはまたの機会にご報告するとして、名簿を利用した疑いのある詐欺には十分お気をつけ下さい。また卒業生で話す機会には、『名簿詐欺』の注意喚起をお願いして、今年最後のページとさせていただきます。
年の瀬を迎えて暮れの挨拶移動か、市中はクルマで大混雑。ふと頭に浮かんだのが、『ぼっちゃん』は元気にしているだろうか。近くにいながら、毎年律儀に訪問するタイプの私ではありません。思いついたら、気まぐれに行くことにしています。今年はカレンダーと、かわい肉店の肉を持参することにしました。河合政弘先輩は高松商昭和39卒で、自らが所属していたバスケットボール部はもとより、野球部やサッカー部まで頻繁に肉の差入をして下さる先輩です。
にもかかわらず、私は栗林町の本店に初めて行きました。肉の日頃買いはかみさんが、段取りしてくれていて、改めて店頭に並ぶ商品のどれにしますかと問われても、姿カタチが整った、そこそこの値段の商品を指さしどうにか入手出来た次第です。贈答用ですかと聞かれたのですが、そんな大層なモノではありません。しかし持参して改めて、包装紙ぐらいは必要だったかと反省しました。
ぼっちゃんこと畠山敏明先生は、高松商で化学の教諭をしながら、野球部の部長をながく務められました。ネット検索で『畠山敏明先生』を探すと、『会長日記』が上位に位置し、過去に私も結構いい加減なことを書いているモノだと我ながら感心しました。同時にマイクロソフト社の『Copilot』にも聞いてみましたが、私がネットにアップしたネタのまとめが掲載されています。何の手がかりにもなりません。
私は昭和43年に高松商に入学し、同46年3月卒業しましたが、この頃はもう野球部長は退任されていたと思います。2年の進学組から化学の授業が畠山敏明先生でしたが、それは面白い授業でした。3年生のある日、私ら数人が自宅に招かれ『肉』をご馳走になりました。今日の肉は、その頃のお礼です。量は違うのですが、夫婦お二人で余っても良くないと言い訳をしていましたが、長女ののり子さんが在宅でした。
畠山敏明先生は93歳、室内では杖なしで移動されています。奥様は最近体調を崩して、温水プールで1キロが泳げなくなったと言うから、老いて益々盛ん。のり子さんは、両親の面倒を見るために埼玉の自宅から長期離脱で三条町に帰ってきているそうです。玄関で対応されたとき、母親と見間違うほど似てきています。驚きました、嫁は母親を見てもらえと言いますが、容姿も話しの内容も似てきました。
あののり子さんが64歳になって孫数人、畠山敏明先生には6人のひ孫さんがいるそうで、年末年始は次女が長女と交代するそうです。私も91歳まで生きたいと目標を決めていますが、畠山敏明先生は年明けに94歳。何と76歳まで高松予備校で教鞭を執っていて、村上理事長と丁々発止やっていたそうです。畠山敏明先生は、元気ですよ。